Shamisenbouzの日記

冷めやすい性格の私が唯一長続きしたのが24歳から始めた三味線。三味線や音楽、たまにはその他の話題について、日々、四苦八苦したり伝えたい気持ちをマイペースに発信していきます。

夢枕獏 編著 「琵琶綺談」

今日、テレビを眺めていたら、TOKIOの元メンバー、山口達也氏が飲酒運転で逮捕されたそうな。

むかぁしむかし、東京・谷中の商店街を散歩していると、商店街の中に新しく出来たであろう観光案内所に、地元のヒトと山口氏がにこやかに会話していた姿を思い出す。

どうやらプライベートではなく、仕事の待ち時間だか、あいまにその時間を過ごしていた雰囲気だったが、遠くから見ても、いい服を着て、綺麗に髪もセットされて、体の外側から内側から、キラキラ輝いている姿は、あぁ「あれが芸能人なんだな」と、ちょっとした一瞬、すれ違いざまでさえ、強く私の頭に印象付けられた。

ただ、ここ二、三年、彼が精神的、飲酒関連で迷走している噂を聞くと、芸能人としての山口氏のイメージはほんの一面、仮の姿なのだろう。プライベートで様々なことがあっても、テレビの世界ではニコニコしてはしゃいでいなければいけない芸能人は、精神的にチグハグせざるをえない世界なのかもしれない。

 

しかし、山口氏の運転していたバイクの後続車のドライブレコーダーの映像によると、細い道のミギヒダリを大きく振らついていては、誰が見ても非常に危険なことだ。

クルマ対クルマでも飲酒運転は「ダメ、ゼッタイ!」だが、バイクを運転するのだとしたら尚更だろう。素面の私が自転車に乗っていて、道端の小さい石っころのような段差につまづいてスッコロび、二ヶ月右足が曲がらなかったというのに、バイクなら最悪死んでしまう・・・。歩行者、自転車、バイク同士なら相手も大怪我、殺しかねない。

酩酊していて、判断力が低下していた、記憶を失っていたという言い訳も立たず、「友人に会いに行くため」という意識もあり、自らバイクに乗ることを選択し、警察の白バイが横を通ると真っ直ぐ運転しているように見せかけようとしたしたたかさは、彼が病気を患っているという噂を抜きにすれば、同情の余地はない。

酒好きは飲みたい気持ちを我慢できない習性があるのは、私もそのクチなので分かる気がするが、山口氏はすくなくとも実害を周りの人間に与え始めている。

酒は頭に直接いく刺激なので、ひと昔前のような「酒を飲むのは気が弱いから」とは思えないが、気を強く持って、もう一度、キラキラした素敵な姿をテレビで見せてもらいたい。

 

で何でタイトルと違うことを長々と書いていたかというと、最近私が読んだ、タイトルの本「琵琶綺談」の中に中島らも氏の『琴中怪音』という素敵な短編があったからで、作者の中島らも氏も山口達也氏が患っているとされる双極性障害があったらしい。

琵琶綺談→中島らも→そういえば双極性障害という病を・・・→山口氏も同じ病を患っているらし・・・、

まぁ、言い方が良くないが連想ゲームしてしまったのです。

 琵琶をキーワードに、いろんな作家が書いた短編を集めた、アンソロジーの本だ。

 

この『琴中怪音』は、ストーリー自体はとびきり変わっている所はない。が、楽器、音楽好きで、自らも海外に行ったときにその土地の民族楽器を買ってきてしまう性癖の中島らも氏らしい、音楽・楽器好きなら誰しも強く共感できるだろう、楽器を擬人化した物語なのだ。

もろネタばれしてしまうが、

主人公は、

“上海で、五本の指に入る琵琶の弾き手”であり、“唐の時代に皇帝から下賜されたらしい”家法の琵琶を大切にしている。

上海の外灘(ワイタン)海品(シーフード)公司(会社?)、海産物を取り扱う会社?に勤めていて、プロの弾き手ではなく、あくまで宴席に呼ばれて演奏することがあるだけらしいが、前述の家法の琵琶でなく、ごく普通の琵琶を弾いてさえ、琵琶一本で小一時間、人々をうっとりと聞きほれさせて、陶然とさせるだけの腕を持っている。

芸に精進してさえいればいいのに、

最近、嫁いでいった娘のために祝いの金、まとまった金を渡してやりたく思うが、勤めの給料では十分でなし、宴席の演奏で貰うギャラはたかが知れている、弟子でも取ろうか、と考えているが若者の間では洋楽が大流行、伝統音楽など見向きもしない、

というので、主人公は、

段々とお金の事が頭の中を占めていく、

ところに党の役員をしている琵琶好きで主人公の演奏のファン、というより本当は、主人公が大切にしているらしい立派な琵琶が欲しい目当てでお偉いさんが自宅に訪ねてくるんですな。

 「この琵琶を二十万元(主人公の給料の二十年分)で譲っていただけませんか?」

と。

主人公は、自分は譲る気など毛頭ないと言ったし思っていたつもりだが、その実、金のことを考えていた折、すぐには稼ぎ出せない大金を目の前にチラつかされ、目玉がお金マークでいっぱいになるのだ。

その日から、琵琶の中で、“ことり”と音がし、または琵琶が意図的に“ことり”と音をさせ、家宝であった琵琶は金に目がくらんだ主人公自身を「試す」わけだが、そのまま家宝として変わらず大事にされたい琵琶の思惑を外れ、お金マークの主人公は、琵琶の健気な主張に気付かないばかりか、唐代の竹筒、由緒正しい血統書が内蔵されてるのではないか、楽器の表板を開けてみようとますます欲を深くする。

主人公の家に代々大切にされてきた家宝の琵琶は、腕のいい楽器職人によってバラバラにされ、楽器の中にあった直方体のものには”唐~”と書いてあるように見えるが、触ろうとした瞬間、四散してなくなってしまう・・・。

琵琶はご主人様に決別し、結果的に、その琵琶は鳴らなくなってしまうのだ。

 

この小説の舞台が中国として描かれてあるものの、中国に同じ思想があるだろうか、日本のアニミズム、どんなものにも魂が宿るという考えが、この物語の根底に流れているだろう。

唐の皇帝から頂いたらしい琵琶を、「名器」と考えて家宝にしていれば、魂を持った琵琶もそれに応じて素晴らしい音を奏でるのに、お金と引き換えに手放そうとしたために、琵琶の恨みを買い、恨みはらしに琵琶は音を鳴らさなくなった。

なんとも日本人的な精神が『琴中怪音』に流れていて可愛らしい。

 

この本の作品中、一発目、平岩弓枝さんが書いた『孔雀に乗った女』も『琴中怪音』と同じく、ある素晴らしい琵琶が大事にされないばかりに人間に奇妙な体験をさせて、寂しい思い、恨み、を伝える、楽器好き、音楽好きにはたまらない物語だ。

ぜひ、一読されて欲しい。

この二作品以外は、キーワードとして琵琶をかすってはいるものの、楽器に対する思い入れが薄いし、頭の中だけで構築された物語のようで、読んでいて残念に思う。

 

現代に、楽器(もの)を大切にしなかったからと言って、音がしなくなったり人間に危害を加えるという物語が聞かれることはない。必要なくなれば売られ、または捨てられ、音に不調があれば然るべき理由で説明されるだろう。

だが、古来のアニミズム的発想から物が人間にいたずらする話を語ったり、物を大切にし、現代の科学的思考から、この世に物が溢れ、平気で捨てられるとすれば、オカルトと呼ばれてバカにされるような、ものを大切にしないと化けて妖怪になるぞ、という古来の考えから学ぶ所は多いのではないだろうか?