Shamisenbouzの日記

冷めやすい性格の私が唯一長続きしたのが24歳から始めた三味線。三味線や音楽、たまにはその他の話題について、日々、四苦八苦したり伝えたい気持ちをマイペースに発信していきます。

長部日出雄 「津軽じょんがら節」「津軽世去れ節」

私が習った三味線のジャンルは津軽三味線なのですが、津軽三味線の歴史ってさかのぼっても明治時代からで、そんなに大昔のことでないのに、「~らしい」「そうだったらしい」というノリで出来上がっているところがあります。

大條和雄さんという津軽三味線歴史研究家がいらっしゃいまして、大條氏の著書で津軽三味線の歴史をまとめた本があり、読み応えがあって三味線をやっている身分からすると、あぁこういう先人達の流れがあるなら自分も頑張らないといけないな、なんて励みになるのですが、客観的事実を積み上げようとして、しかし、関係者に聞いて分からない事は想像で補っている部分があり、雑な言い方をすれば虚実ないまぜで、史料的価値は低い「らしい」。

津軽三味線の歴史は、まるで小説のようです。

 

私の苗字は『梅田』と言います。津軽三味線の世界にも『梅田』の苗字を冠した「梅田豊月」という名人がいました、なんでも津軽の梅田という部落の出身だったそうで。タイトルにもある、長部日出雄の表題作「津軽世去れ節」にも一瞬ですが、登場します。

 私の祖母の実家や親戚はみな秋田系ということもあり、自分のルーツが津軽の梅田村にあるのではないか、豊月は今で言う身体障害者で、三味線の弾き方も独特だったとか、のちの津軽三味線ブームを生む高橋竹山、木田林松栄の師匠筋だった、ということもあって、梅田豊月には多分に興味がありました。

 

田豊月の孫が津軽で床屋を営んでいるという情報を得て、ノコノコ出かけていったことがありますが、そのお孫さんに豊月のことを聞いても、やはり「分からない、三味線弾き、唄うたいはホーボーまわって歩くので私らには情報がない」と言われてしまいました。

昔の日本は、音楽を仕事にするのは視覚障害者の専売特許、健常者で家の仕事もしないで三味線や唄に熱中するのは『空っ骨病み・カラポヤミ』ですから、それをわざわざ記録して残そうなんて物好きはいなかった訳です。どこか、遊芸人に対する差別感情もあったみたいですし・・・。

 

逆に言うと、津軽三味線の歴史がうやむやな事は、想像力や仮説も立てやすく小説にしやすいと思います。

まさに、長部日出雄津軽世去れ節」、「津軽じょんがら節」の二作品のことでしょう。

この二つの小説は、実在した“嘉瀬の桃”、架空の“茂平先生”という人物から長部氏が想像力をたくましくして、津軽三味線津軽民謡界の創成期のことを表現した作品です。

 

 主人公の”嘉瀬の桃”、”茂平先生”ともに、健常者で家の仕事があったにもかかわらず、唄や三味線が好きで得意で芸人になっただけに、煮えたぎるような情熱が感じられます。

長部氏も、津軽三味線津軽民謡を題材とした作品で強調したかったのは煮えたぎる情熱そのもののようで、「津軽じょんがら節」の地元のお祭りでの何時間にも及ぶ三味線バトルのシーン、「津軽世去れ節」での主人公・桃と、女流民謡横綱・スワだかサワだかの一対一の唄バトル、長部氏は映画の監督もされているようで、自身の監督映画「夢の祭り」も女の取り合いに津軽三味線でバトルするシーンがあったり、長部氏の少年マンガばりの、主人公の自我の芽生え、バトル、成長といった情熱に対する表現パターンは、滑稽にも思えてくるものがありますな。

 

それでも、津軽三味線、音楽、楽器が好きな人は、長部氏のこの二作品を読むことは感情の刺激になって損ではないと思います。

短編ですし、読みやすいですよ?

 

なんだかこのブログも、桃や茂平先生と同じく尻すぼみになってしまったな・・・。